ナチュラル知識を議論の軸とした私のクイズへの向き合い方に関する一考察

はじめに

この記事は、クイズやるひとアドベントカレンダー2017に向けて執筆したものです。従って、クイズ活動をしている人を主な読者層とした内容となっていますことを、ご了承ください。また、本記事の執筆時点現在、本業の論文執筆で余裕がないこともあり、本記事については、特に推敲などをせず、思ったことをそのまま吐き出してしまっております(日本語で好き勝手に書ける悦び)。よって、冗長な部分があったり、誤字脱字等があったりすると思いますが、ご容赦ください。

本記事は、私かーねるの、クイズへの向き合い方について、自分自身のこれまでを振り返りながら、思うところをつらつらと書き連ねたものです。なお、これから書く内容は、クイズに対して真摯に日々努力して取り組まれている方々、勝利することをクイズでの主目標とされている方々から見たときに、不真面目、あるいは不誠実な態度と見える内容を含む可能性があります。これはあくまで個人のブログでありますため、こうした点を踏まえていただき、万一気分を害されても文句を言わないとお約束いただけない場合は、ここで読むのを止めてブラウザバックをお願いします。問題なければ、このままお進みください。

私とクイズの出逢い

まず、簡単に、私とクイズとの関わりについて、軽く触れておきます。私がクイズに出逢ったのは、今から30年以上前の幼稚園時代に遡ります。当時から、わけもわからず見ていたアメリカ横断ウルトラクイズが、とにかく大好きでした。小学校の頃には、かの有名な永田さんの絶叫回答「冬虫夏草!」がカッコよすぎて、冬虫夏草というものを知っている気持ちわるい小学生になっていました。もちろん、当時は永田さんのあの回答が全国的に話題になっていたことは知るよしもなく、二十数年後にクイズのコミュニティであの回答がいまだ語り草になっていることに触れ、とても嬉しくなったと共に、当時あれに衝撃を受けたかーねる少年の感性はイイとこ行ってたんだなあと、感慨に耽ったものでした。

その後、中学からは、今でも(一応)続けているペーパークイズシリーズ「かーねるクイズ」の友達内輪への定期刊行を始めたり、高校ではクイズ好きの仲間と高校生クイズに行ったり、大学からはクイズマジックアカデミーに盛大にハマったりと、クイズとは切っても切り離せない生活をしていました。しかし、大学ではクイズ研究会には入りませんでした。もちろん、クイズ好きだった自分は、大学入学後すぐのサークルオリエンテーションの場で、大学のクイズ研究会(TQC東京大学クイズ研究会)の体験会に足を運びました。しかし、その体験会のレベルが、自分にとってはあまりに高く、手も足も出なかったため、これは自分には無理だと直感し、サークルには入らなかったというわけです。

そして、時は流れ、2014年9月11日、リアル脱出ゲーム好きの自分は、SCRAPのイベントの一環として気になっていた「はじめてのクイズ」の第4弾に参加し、そこでクイズの面白さに触れた自分は、本格的にクイズの道へと歩みを進めることになります。

私のクイズへの向き合い方

さて、本題ですが、自分はクイズのための自主トレーニング(いわゆる「勉強」)というものを、全くしたことがないわけではないですが、基本的にはほとんどやったことがありません。

クイズを本格的に始めてから3年近く経った今でこそ、いわゆる「ベタ問」と呼ばれるような、早押しクイズで頻繁に聞かれうるような内容の問題には、多少は反応できるようになってきたとは思っていますが、それらも、自分で問題集を読み込んで憶えたわけでは全く無く、日々のクイズ遊びの回数を重ねていくうちに自然と覚えていったにすぎない、という状況です。つまり、「クイズのための知識」を「能動的に」取り込む、ということを、自分はしておりません。もっとも、クイズ大会直前に、申し訳程度に日付問題対策をメモ帳に書いたりすることは、相当に気が向いたとき限定ではありますが、無くはないです。

言い方をかえれば、自分はいつも、基本的には自分の日々の生活の中で自然と身につけた知識、自然と覚えた知識だけでクイズに向かっている、ということがほとんどです。クイズ好きのコミュニティでは、こういう自然に身についた知識のことを「ナチュラル知識」と言ったりするようですが、自分はこうしたナチュラル知識がクイズの武器として持っているもののほとんどであるという状態です。

ですから、当然、クイズのための自主トレーニングをしっかりされている方々と比べると、自分の知識は不足していますし、その当然の帰結として、クイズでも自分はなかなか良い結果を残せません。もちろん、良い結果が残せれば嬉しいですし、「負けてもいいや」と思っているわけでは決してなく、クイズ大会の場では全力でクイズに臨んでいます。確かに、私は負けず嫌いな気持ちが薄く、「絶対に勝つ」と意気込んだりすることは稀です。しかしそんな自分ではありますが、クイズの大一番で自分が答えるべき責任問題を取りこぼし、百人以上が見守るステージの上で体が震えるほど悔し涙を流したこともありました。そのように、これまでを振り返っても、私は「ナチュラル知識でクイズをする」という今のスタイルが、一番しっくり来ていますし、このスタイルに自分なりの楽しさを最も見出せています。 

私とナチュラル知識

では、私がナチュラル知識でのクイズを一番楽しいと感じる理由は何なのか。これについては、いくつかの仮説はあるものの、自分でもその本質はいまだつかめずにいます。

ひとつの仮説は、自分はクイズの本当の「楽しさ」をまだ知らないから、というものです。自分はこれまで、個人戦オールジャンルでの大きな大会で上位に入ったことがなく、例えば、大きな大会の準々決勝や準決勝まで行った方々が皆口を揃えておっしゃる「楽しさ」を、自分は全く味わったことがないので、この「楽しさ」を自分が今後もし味わうことがあれば、その「楽しさ」に麻薬的な魅力を見出し、それを得るための「クイズのための知識吸収」に本格的に取り組むようになる、ということがあるかもしれません。

もうひとつの仮説は、単に自分が「能動的に何かを記憶する」という行為がすごく苦手だから、ということです。こっちは、仮説とは言っていますが、おそらく理由のひとつとしてほぼ間違いなく真ではないかと自分で思っています。私は、今思えば小学生の頃から、教科書にある人名や年号など憶えるのがすごく苦手で、イヤでした。それは中学でも高校でも変わらず、学校での定期試験のためにチェックペンとチェックシートを使って必死に憶えたりしてこれをなんとか凌ぐわけですが、これが本当に苦痛で、つらいものでした。私は理系人間なのですが、私が高校での文理選択の際に理系を選んだ大きな理由のひとつは、「能動的に憶えなくてはならない事柄が少ないから」でした。この選択は、自分の性格を考えても、今でも自分にとっては正解であったと確信しています。そういうことです。

前の節の冒頭で、自主トレーニング(いわゆる「勉強」)、という書き方をしました。クイズに関して、私は「勉強」という呼び方をあまりせず、自分で言うときは「自主トレ」などの別の呼び方をすることが多いです。さほど深い理由があるわけではないんですが、当初は、なんとなく趣味活動を「勉強」という言葉で形容するのに違和感があったんです。これを言うと嘘つけと言われることもありますが、元来、本当は私は勉強嫌いなんです。しかし、考えてみれば、どんな趣味活動であっても、その深度を増せば「勉強」は必ずついて回るものですし、私がクイズに対して「勉強」という言葉をあまり使いたくないと思う原因も、おそらく、「能動的に憶えることが大の苦手だから」という、自分自身の性質が如実にあらわれた結果なのかなと、今これを書いていて思ったりしています。もちろんこれは私の勝手な呼び方なので、皆さまが勉強とおっしゃることを否定等する意図は一切ございませんし、勉強と呼ぶのが至って通常であると私も思っています。

私自身は、昔の出来事の話をぽろっと口に出すと、「よく覚えてるねえ、そんなコト」と言われることが少なくないのですが、そういう昔のことは、能動的に憶えようとして憶えたものではなく、自然に記憶に残ったものなわけです。まあ、昔話の類であれば、多くの人が自然と覚えていたことになるとは思いますが、私の場合は、昔話に限らず、例えば最近の時事ニュースの話題なんかも、すべてこれに含まれます。私自身の「記憶力」と呼ばれるものが良いのか悪いのかはわかりませんが、少なくとも、私が覚えていることのほとんど全ては、自然と覚えたものです。これがそのまま、クイズ活動に際しても適用されている、というわけです。

私の得意分野とナチュラル知識の関係性

私がいまクイズをやっている上で、それなりに自認している私の得意分野に、「アニゲ(アニメ&ゲーム)」と「理系学問」があります(クイズマジックアカデミーのジャンル分類に準拠した表現です)。あと、クイズマジックアカデミーではライフスタイルに分類される小分類ではありますが、「IT」も得意分野と自認しています。そして、これらが私にとっての得意分野である所以は、間違いなく、私が持っているナチュラル知識にはこれらの分野に属するものが圧倒的に多いからに他なりません。

クイズの得意分野という意味では、これは私に限らず、おそらく大半の方が、自分の日々の生活や出身学部などに関わりの深い分野を得意としていると推察します。私の場合、この傾向がおそらく他の皆さまよりもかなり強く、日常で触れていないものだと全くもって知らないし憶えてないし答えられない、となってしまう感じでして、ナチュラル知識に依存する程度が非常に大きくなってしまっているわけです。

大きな大会の準々決勝や準決勝まで行った方々が皆口を揃えておっしゃる「楽しさ」を、自分は全く味わったことがない、という話を先程しましたが、殊にジャンル限定のクイズ大会に限れば、こんな私でさえ、この「楽しさ」の片鱗のようなものを少しだけ感じたことがあります。例えば、アニゲ限定のオープン大会「ブルーシンデレラオープン2015」ではかろうじて準決勝まで行けましたし、ITジャンル限定のオープン大会「ITオープン 2nd」では、著名な方々もいらっしゃる中で決勝まで行き、第3位という栄誉にあずかったこともありました。一例を挙げますと、「ITオープン 2nd」で実際にあった場面としては、準々決勝の長文早押しボードクイズの場で、私はこんな押しをして単独正解をさせいただくに至りました。

女優の菊川怜はこのアルゴリズム

この問題の正解は「遺伝的アルゴリズム」でして、菊川怜が東大在籍時代に卒論で、遺伝的アルゴリズムという計算手法を使ってコンクリートの配合を調整するといった趣旨の卒論を書いていた、という話なのですが、この問題をこのタイミングで押せて、かつ単独正解に至れたのは、今の私の研究分野でのメイントピックがまさに「遺伝的アルゴリズム」であり、私とっては日々の生活で最も身近に触れている、いわば私にとっての「最強のナチュラル知識」であったからに他なりません。

しかし、こうした経験をさせていただいても、例えばアニゲのより深い知識や見ていない作品の知識を能動的に憶えようとか、ITの中でも自分の守備範囲外になっているところをおさえようとか、そういうふうには今のところなっていないのです。こういったアクションは、どうしても自分の中では、苦痛になりうるものになってしまうのです。

ただ、このように、自分の中におけるいわばパラダイムシフト的な「楽しさ」を感じることができずにいるのは、当たり前のことなのかもしれません。なぜならば、これらの戦績を残すに至るまで、自分は苦労をしていないからです(あくまで自慢話ではなく客観的事実として述べています)。それは、自分がナチュラル知識だけで戦っているからに他なりません。クイズのための能動的記憶の努力をし、その努力が報われるからこそ、パラダイムシフト的「楽しさ」に、そうしたカタルシスにたどり着くことが出来るのだろう、とも推察します。とすると、やはりどこかで私は、クイズのための能動的記憶の努力をしなければ、どうあがいても「楽しさ」に至ることのできない、ある種のデッドロックに陥ったままになってしまう、とも言えるのかもしれません。前の節で挙げた2つの仮説は、実は有機的に一体となり、ある種の確信にも近いひとつの大きな仮説になるのかもしれない、というわけです。

おわりに

特に話のオチもないまま記事の締めに向かってしまいますが、ナチュラル知識というキーワードを軸に、今の自分のクイズへの向き合い方をつらつらと書いてきました。現実問題として、いま現在、私は本業の研究業務の方が多忙を極めており、オフラインのみならずオンラインですら、クイズの場に出られない日々が続いてしまっております。そんな生活の中で、いわんやクイズのための能動的記憶に注げるリソースは、たとえ意欲的になったとしても捻出できません。私の懐の中身と同じで、無い袖は振れないのです。

ですが、今回こうして文字として書き起こす作業を通じて、私自身も、今の自分の考え方を整理し、問題の所在を明確にすることが出来たと思っています。私は、普段の研究の仕事でも、自分のやっていることを定期的に日本語で論文の形に書き上げることを意識的にやっているのですが、これも目的は同じで、外部へのアピールのみならず、自分の思考回路を自ら認識し、それを整理し、問題の所在を明らかにすることが出来るからです。このブログを年1ペースでしか更新していない自分が言っても説得力はありませんが、もやもやをすっきりさせるために文章を書くというのは、おすすめの方法です。今回のこれは、こうしてアドベントカレンダーに向けての記事として公開させていただきましたが、書いたものを必ずしも外に向けて公開する必要も無いわけですからね。

最初にも申し上げました通り、私のクイズに対する姿勢は、もしかしたら不真面目、あるいは不誠実に見える点も多々あったかもしれません。しかし、私自身は、クイズに対して誠実に向き合っているつもりでおりますし、何より、私はクイズを心から楽しく思っている、クイズ大好き人間です。でなければ、こんな記事を本気で書くことは無いであろうと、自分でも思う次第です。

最後に、私事ではございますが、2018年の春、今の大学院博士課程を修了してかーねる博士となった後、首都圏を大きく離れた場所の職場への就職となる可能性が現在濃厚となっています。期間は、短ければ1年程度になるかもしれませんが、現時点では全く不透明です。東京近郊でのクイズの場に伺える機会が僅少になってしまいますが、いまクイズつながりで仲良くさせていただいている皆さまにおかれましては、是非、私が遠方に行ってしまっても、今後とも仲良くしていただけましたら、これに勝る喜びはございません。

長文にも関わらず、ここまで読んでくださった方に、心からの感謝を申し上げます。こんな私ではございますが、今後とも、どうぞよろしくお願い致します。